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なんとか、

以前受けた、半年間の短期のアルバイトが受かった。

一応、一ヶ月更新の派遣の仕事がきまっていたが、
一ヶ月単位なので、来月どうなるか?
と言う不安があり休日は仕事を探さなければならなかったが、
このアルバイトは半年間だが、ある程度保障される。

他にも一ヶ月だが、派遣の仕事の紹介があった。

これまで、な〜〜んも受かんなかったから
少しは良くなってきたのかな?とも思ってます。

それと目の下がドンドン腫れてきて
ガンかもしれないと手術を受けたペットのこいつですが



ガンではないけど、ガンの可能性もまだある、
というわけのわからない診断を受け(苦笑)
このまま腫瘍が大きくなれば目が飛び出すこともあるが
対処法としては抗生剤を飲ませつつそのつど考えるという
わけのわからない診断を受けました。

、「目の下なので目を傷付ける可能性があるのでこれ以上はできない」
とのことに渋々納得し、ずっと様子を見ていたのですが
ドンドン腫れて、目の下から血が出てきて黒目が血で見えなくなった時もありました。

しかし、最近えさをペットフードを少なくし、もやしやキャベツなどを与えたら
そのせいか少しづつ腫れが引いてきました!

もしかしたらペットフードのせい?
でもとりあえずよかった、よかった。

なんだか、最悪だったこれまでの流れが
ほんの少しづつですが
良くなっているような気がしてきましたよ!

posted by: ゴルゴンゾーラ | やっとやめれた就活日記 | 00:20 | comments(0) | trackbacks(0) |-
グランジオルタナティブを追っていたら・・・その5

今度は1988年〜1990年にタイムスリップ!
LAメタルの快進撃は止まりません!!

POISON 「Every Rose Has Its Thorn」1988

初期は化粧をした派手なルックスで注目を浴び
ポップでキャッチーな判りやすいメロディーで
全世界的に成功を収め、2500万枚のCDセールスを記録。
この6枚のシングルEvery Rose Has Its Thornでビルボードの1位獲得しています。
このライブの頃は化粧は控えめになっていますね。

スーパーギタリスト、リッチーコッツェンがいたバンドとしても有名ですが
リッチーはメンバーの恋人を寝取って、喧嘩になりポイズンを解雇されてしまいす。


Motley Crue1989のライブ映像


デビュー以来、ロックシーンを数々のゴシップで騒がせた
「セックス、ドラッグ&ロックンロール」を地で行くバンド!
LAメタルの象徴的バンドとされています。

ベースのニッキーがラットのロビン・クロスビー、
ガンズ・アンド・ローゼスのスラッシュらとの
ドラッグ・パーティーの途中、過剰摂取により心臓が一時停止してしまったり

「ニッキーの代わりにベースを弾いた」と発言する人物も現れ(ニッキーは二人いた事件)
裁判にもなったり(当然バンド側が勝訴)
なにかとシーンを騒がせていたバンドですが
彼らのライフスタイルはやんちゃで、リッチで過激!

そのライフスタイル映像


そして1989年
Guns N' Rosesがついにデビューを果たします!

「Welcome To The Jungle」1989

1985年に結成されたLAを拠点とするバンド。
現在までに全米で4200万枚、全世界で1億枚以上のアルバムセールスを記録しています。

LAメタルらしく派手なファッションやライヴ中の衣装換え、
Aerosmithのような音楽路線、スタジアム級バンドに相応しいパフォーマンスと演出、
男根主義的パーティー思想、ドラッグセックスロックンロールを体現するライフスタイル
(ライブが終わるとバスの中では十代の女の子達とみんなで乱交パーティをしたりも!)。
と、ここまでくると他のバンドと変わらないような気もしますが

しかし、他のバンドと決定的に違うのは
80年代のロックに失われた要素、
「毒、スリル、危険な香り、ヤバさ、緊張感、攻撃性」を持っていたこと。

デビュー時はロックの救世主と評されたりもしました。

ライヴ開始時間の大幅な遅延、
ステージ放棄によって観客が大暴動、数多くの逮捕歴、テレビ出演時に卑猥な言葉を連発、
気に入らないマスコミへの挑発など音楽以外の話題でも注目を浴びたそうです。

こういったことを考えるとなんかオルタナバンドぽいきもしますね。

実際に「このバンドが存在しなければグランジ・オルタナ革命は起こらなかったと」
分析する人もいるそうです。


この時期には
この他、日本ではあまり知られていない
Warrantなども「Heaven」というシングルがヒット!
Bad Englishや
私の大好きなCheap Trickも
売れなくて泣く泣くメジャーレコードの飼い犬となり
他人の書いた曲でヒットを飛ばしていました。(涙)



似たようなバンドが多くなってきたので
お口直しにポップスをアップ!
Martika - Toy Soldiers

特に意味は在りません。
色々探していたら、偶然見つけていい曲だったので。

つづく

posted by: ゴルゴンゾーラ | アメリカロック史を追ってみた | 01:09 | comments(0) | trackbacks(0) |-
グランジ・オルタナティブを追ってみたら・・・番外編(スラッシュメタル)

80年代後半、
全米中を暴れまわっていたLAメタル以外に
もう一つ別の種類のメタルシーンも盛り上がりを見せていました。

それがスラッシュメタルです。

裏のメインストリームを引っ張っていた彼らの
音楽性は、ブラックサバスのようなメタルと
パンク・ハードコアを融合したようなものでしたが、
これまで紹介してきたBLACK FLAGに影響されたバンド達ともLAメタルとも違い
知的で複雑な展開やギターソロこそありますが
ギターリフの重さに重点を置き、
演奏技術にもかなり高い技術が要求されるジャンルでした。

のちのニルバーナやサウンドガーデンなども影響されています。

中でもMetallica Megadeth SLAYER Anthraxなどのバンドは
スラッシュ四天王と呼ばれています。

Anthrax 1987年のロンドンでのライブ


Anthrax
四天王の中でも、もっともオルタナよりのバンドで
ニューヨークハードコアの影響を受けたバンドです。

ボーカルのジョーイがアメリカンインディアン出身ということもあり
ファンクやインディアンビートを取り入れ
彼らこそが後のミクスチャーロックの先駆者だと唱える人もいます。

このビデオを見ると
ギタリストのスコット・イアンがヒップホップグループ「パブリックエナミー」のTシャツを着ていることでも
そのことがわかりますね。

Slayer 1986年NY公演



歌詞は、死、自殺、精神異常、死体、サタニズム、連続殺人犯、戦争などといったテーマが多く
アルバムの発売禁止及び延期、訴訟等などを余儀なくされることもあった、
極悪メタルバンドです。

Kerryは、一時MEGADETH加入する為に一時バンドを離れますが
すぐにはSlayerに戻っています。
「MEGADETHは俺の時間を大いに取った」
Kerry談

このことが原因となり両バンドに亀裂が生じ長きにわたり争うこととなります。

MEGADETH 1988年のドイツ公演


美しい金髪、端正な顔立ちとは裏腹にメタル界一素行の悪い男
デイヴ・ムスティーン率いるメガデスの音楽は
デイヴ・ムスティーン自らインテレクチュアル・スラッシュ(知的なスラッシュ)と称し、
戦争の正当性、核戦争、政府、陰謀、環境保護、表現の自由に対する検閲、等々テーマを扱っており他のヘヴィメタルバンドとは一線を画していました。

しかし、このビデオの演奏は圧巻ですね!
まさにインテレクチュアル・スラッシュ!

デイヴ・ムスティーンは初期のメタリカのメンバーでした。

ドラッグ中毒者でメンバーとも殴りあいのケンカまでし
挙句のはてに酔っ払ってベーシストであるロン・マクガヴニーのベースに
大量の酒を流し込むなどし
ロン・マクガヴニーは脱退。

絶えられなくなった他のメンバーはデイブの解雇を決意します。


1983年、デイヴのクビを決定したメタリカは、
後任となるカーク・ハメットの加入が決まっているにも関わらず、
1stのレコーディング先のN.Y.まで呼び付け、そこでクビを宣告、

そこでロサンゼルス行きのバスのチケットを渡たします。
(ちなみに脱退時にジェイムズは涙したと言われている。)

後に、この解雇を「親の死よりつらかった」と語ったムステインは
メタリカを越えるメタル・バンドを作る事を決意!
同じアパートの下の階に住んでいた
デイヴィッド・エレフソンと意気投合し、メガデスを結成します。

しかし、「親の死よりつらかった」と言うメタリカ脱退の出来事を反省することなく
自分がリーダーとなったメガデスでもデイヴは素行の悪さを発揮!

ライブ中、自分の気に入らないプレイをしていたギタリストに唾を吐いたり
気に入らないメンバーはすぐに解雇!

一緒にバンドを結成したデイヴィットにジュニア(ガキ)と言う
あだ名をつけるなどとやりたい放題していました。

のちに日本語ペラペラ外人ギタリスト、
マーティーフリードマンが在籍していたバンドとしても有名ですね。

Metallica 1986年のライブ



いわずと知れたモンスターバンドMetallica 

1990年代の全米アルバム総売り上げ4位のビッグ・バンドで
サウンドガーデンやニルバーナにも影響を与えたバンドでもあります。


結成は81年でインディからのデビューは83年。

デビュー当時は単なるうるさい音楽との批評もありましたが、86年スラッシュメタルが市民権を得るきっかけとなったアルバム"Master Of Puppets"は50万枚以上売り上げます。

しかし、メンバー最年長で脅威の指弾きベーシストであるクリフ・バートンが
ツアーバスの事故で死亡。

ベーシストの交代を余儀なくされてしまいます。

その影響があってなのかなぜか4thのアルバム"...And Justice For All"は
ほとんどベースの聞こえないアルバムになってしまいました。

しかし、そんなアルバム"...And Justice For All"は全米7位を記録。
クリフ・バートンがいなくなった影響からか、
それまで、否定してきたプロモーションビデオを制作、
さらには、LAメタルのようなステージ上での派手なパフォーマンスなども
するようになっていきます。

そんな彼らですが、メタルバンドには珍しく
ネバーマインド前のニルバーナを一押しするなど
グランジ・オルタナティブシーンにも理解のあるバンドでした。

「最近のもので気に入っているのは、シアトルにある”サブポップレーベル”出身のアーティスト。
サウンドガーデン、ニルバーナは大好きだよ、それからTADやMUDHONEYとか」
カークハメット談


つづく

posted by: ゴルゴンゾーラ | アメリカロック史を追ってみた | 12:45 | comments(0) | trackbacks(0) |-
グランジ・オルタナティブを追っていたら・・・番外編(REMの快挙)
 臨時ニュースをお伝えします!

ジョージア州のフォークロックバンド
REMが インディーレーベルI.R.S.から
1987年発売の「DOCUMENT」で
全米10位!プラチナアルバムを獲得しました!

さらにシングル「The One I Love」はチャートをグイグイをあがり
全米チャート9位まで上昇!

これまでにインディーから5枚のアルバムを出している
彼らですがこれを気にメジャーデビューするそうです。

これまでの彼らの軌跡
  • 1983年『マーマー Murmur』36位、ゴールド(US)
  • 1984年『夢の肖像 Reckoning』27位、ゴールド(US)
  • 1985年『玉手箱 Fables Of The Reconstruction』28位、ゴールド(US)
  • 1986年『ライフズ・リッチ・ページェント Life's Rich Pageant』21位、ゴールド(US)
  • 1987年『ドキュメント Document』10位、プラチナム(US)
  •  

    REM「The One I Love」



    ちなみに音楽の話ではないのですが、
    筆者のゴルゴンゾーラは
    はじめはその3くらいで終わらそうと考えていた
    アメリカロック史の話がここまで長くなるとは思っていなかったそうで
    やめるにやめれ〜なぁ〜〜とぼやいているそうです。

    posted by: ゴルゴンゾーラ | アメリカロック史を追ってみた | 02:56 | comments(0) | trackbacks(0) |-
    世の中そんなに甘くない

    昨日、アルバイト応募をした会社から電話が掛かってきた。

    「だいたい、月いくら位をご希望ですか?」といわれたので
    「大体、月15万円くらいですかねぇ」と答えたら
    (すくな!って思ったそこのあなた!
    家賃払って生きていくには十分しょ、とりあえずのバイトなんだからさ)

    「法律でアルバイトの方は月130時間以上勤務しては
    いけないということがあるので当社では無理ですね」といわれた。

    え〜〜〜〜〜〜〜〜っ!
    そんな法律があっただなんて!
    知らんかった!

    時給1000円でも13万円じゃん!

    完全に勉強不足です。

    応募してもナカナカ電話が掛かってこない理由がわかった気がします。

    半年も求人探してたのに、本当に情けない。
    アルバイトだったらなんとかなるなんて思ってたら大間違いですよ!

    深夜のバイトは避けたかったけど
    仕方がないかぁ〜〜。


    話は変わって、
    こないだ久しぶりに小学校からの友達三人で飲みました。

    一人とはあってるけど、
    もう一人は、結婚していて子供もいて、さらに家が遠いので
    半年振り以来です。

    昔は、くだらない下ネタやバカ話で盛り上がっていたし
    今回もそれを期待していたのですが・・・。

    くっ暗い!
    話が暗すぎる!

    結婚てそんなに苦痛なことなんか?

    「家族はどうよ?」って話に

    「なんか、まだ、俺と別れたほうが幸せなんじゃないかなぁ
    って時々思うんだよねぇ」とか

    「会社もどうなるかわからないしさぁ」とか

    「一人だったらいいけど、
    子供がいると安易に離婚なんてできないし
    責任があるから必死に働かなきゃさぁ、」とか

    「子供手当てなんて意味ないよ、たいした額じゃないし
    時間に余裕ができなきゃ、みんな子供なんて作らないだろうし」とか

    いやいやいや、
    他人から見れば子会社といえども大手の子会社だし、
    奥さんは美人だし、子供もいるし、うらやましいはずだったのに〜〜ぃ!

    結婚もまだな俺には(つうか、できんのかよ!相手探せよ!って仕事が先かw)
    結婚て、結構目標なのにそんな暗いなんて、

    前に別の友達で
    家族持っていて失業したやつん家いったら
    妙に雰囲気のいい家族になっていたけど

    やっぱそんなんかぁ〜〜。

    まぁ結論的には
    そいつの奥さんが40歳くらいになれば
    他の貰い手もいなくなるだろうし、
    そうすればそいつに着いて行くしかないから
    そんな考えはなくなるだろうってことになったんですけどねw

    そのあとカラオケで
    WE ARE THE WOLDで肩組んで踊ったり
    友達の顔の前で腰振って欧陽菲菲歌ったりしたら
    ようやく盛り上がりましたよ。

    まったく!

    それにしても、
    歳を重ねるごとに話が暗くなっていく気がする。

    「不景気だし、いいことないんだからしょうがないよ」ってもう一人がいってたけど

    そうねぇ〜

    よ〜く深〜〜〜く考えてみたら
    人が生まれる時も苦痛と金が伴し
    死ぬ時も他人に苦痛と金が伴う。

    生きるつうのは苦痛と金そういうことなのかぁ〜〜〜

    って考えすぎか?w

    俺も暗!

    でもまぁ、俺はまだまだ世の中なめてたって感じもするなぁ。

    あらためねば。







    posted by: ゴルゴンゾーラ | やっとやめれた就活日記 | 01:21 | comments(0) | trackbacks(0) |-
    グランジ・オルタナティブを追っていたら・・・番外編(80年代のアメリカ経済)

    なんか、この企画
    長くなりそうなのでカテゴリーに追加して見ました。

    たまに見直して間違っている所とかあったので
    修正し治したりもしています。

    さて、今回は番外編

    ここまで、80年代のアメリカロックシーンを
    追ってみて一番に感じることは
    やはり、華やかさの違い。

    メインストリームはMTV全盛期ということもあり
    魅力的で華やかなビデオ、
    ゴージャスなステージと展開しています。

    一方、アンダーグラウンドシーンはとにかく地味で泥臭い
    この差は一体何?

    ということで今回は

    80年代のアメリカの経済についてお勉強。

    この世代の青春時代だった80年代は、レーガン政権によって景気が回復した時代でした。
    不景気脱出とは聞こえがいいが、レーガンの政策は弱者を切り捨てるもの。


    代表的なのが減税政策は、貧困層ではなく裕福層の減税を実施したこと。
    これにより所得格差は拡大、富める者はますます富み、貧しい者の生活益々苦しくなる一方。


    その結果、貧困層による犯罪が多発、生きていくには闇ビジネスに手を染めるしかない
    ドラッグの流通量も増加し、治安は悪化していきました。


    また、レーガンは「強いアメリカ」を打ち出すために、
    予算の多くを軍事費に割くようになったのですが、
    その代わりに削られたのが社会保障費や教育費

    富裕層と貧困層の教育の格差もどんどん開いていきます。

    さらに
    無過失離婚という制度というものが実施され、
    これにより従来より離婚するのが容易になり離婚する夫婦が急増!

    ちなみにNirvanaのメンバーは3人とも両親が離婚しています。

    まぁそういう時代だったので
    ミュージックシーンにも
    ものすごい格差が生じていたわけです。

    つづく

     

    posted by: ゴルゴンゾーラ | アメリカロック史を追ってみた | 12:15 | comments(0) | trackbacks(0) |-
    ギリギリセーフ

    就職からアルバイトを探しに切り替え
    十社以上応募してます。が

    ファミレスやらコンビニに応募しても
    いっこうに返事が帰ってこない。

    名前と住所と年齢を送っただけなのに
    返事が来ないってどういうことだ?

    っていうか、年齢?それとも少しでも近い人を取ろうとしてるの?

    人は雇う気はなくて宣伝のために求人サイトに出している
    って噂あるけどそれ?

    なんて、色々考えていたら登録しておいた派遣会社から
    仕事のオファーが!

    一ヶ月更新の仕事なんですが、
    なんとかやっていけそうです。

    ほっ、(安心のため息ね)

    でも一ヶ月更新なので
    いつ「来月からはもういいから」なんていわれるかわからない!
    休日はとりあえず長期のアルバイト探しね、

    就職はしたいけど、
    これまでの自分の就職活動体験からいって
    かなり難しいと思われるので仕方がない。

    ハローワークに行くと毎回いまだに
    失業保険の説明会の列には長蛇の列ですもの

    底を打ったなんて話はでてるけど
    まだまだ会社は潰れたり
    リストラされる社員はしてるみたいです。

    こりゃ、今年中の社会人復帰は本気で難しそう・・・。

    今は力をためる時と思って耐えねば!

    posted by: ゴルゴンゾーラ | やっとやめれた就活日記 | 02:39 | comments(0) | trackbacks(0) |-
    グランジ・オルタナティブを追ってみたら・・・その4

    さて、派手なメインストリームを堪能したあとは
    小汚いアンダーグラウンドシーンを見てみますか!w

    1978年ミネアポリスで結成された
    パンクロック詩人ポールウェスターバーグ率いる
    ガレージパンクバンドTHE REPLACEMENTSが1985年
    長いインディーを経てアルバム「TIM」でメジャー進出を果たします。

    彼らはパンクロッカーらしくテレビの全国放送で悪態をついて激しく暴れまわったり
    酔っ払っては失態を繰り返し
    レコード会社を困らせるなど問題の多いバンドでした。
    スマッシュヒットもなかったのですが
    一般的な若者の苦痛を代弁するかの様な曲は多くの若者に受け入れられていきました。


    ミシガン州からもう一つ


    THE REPLACEMENTSと同じくミシガンのインディーシーンで暴れまわっていた
    Husker Du がTHE REPLACEMENTSに一年遅れの1986年にメジャーデビューを
    飾ります。

    初期の頃の彼らは激しいハードコアバンドでしたが、
    その後「脱ハードコア」を目指し現在のNOFXやGEEN DAYなどに通じる
    メロディックでキャッチーなパンクを演奏するようになりました。
    ゲットアップキッズのようなエモバンドにも通じるところがありますね♪

    それにしても服、地味!RATTやBON JOVIとは偉い違いです。
    紫のポロシャツって!
    つうかぜって〜スタジオのおばさんたち映像見てね〜〜し!
    司会者もそうだけど、人の話し聞くときは足組むなよ!
    つうか、それ以前にリラックスしすぎだろ!

    つっこみどころあげたらキリがない映像ですねw

    また、彼らの去った故郷ミネソタのインディーズシーンでは
    後の90年代メインストリームで活躍することになる
    SOUL ASAYLUMやGOGO DOLLSなどが暴れまわっていたのでした。

    一方シアトルでは

    BLACK FLAGの地道な布教活動によりパンクとメタルを融合したようなバンドが数多く出てきました。

    このGREEN RIVERはMELVINSやSOUNDGARDENとともに
    この手の音楽の先駆者的存在でもありました。

    音楽性の違いから87年にバンドは解散。
    バンド解散後、ボーカルのマークとドラムのアレックスはMudhoneyを結成
    ギターのストーンとベースのジェフはPearl Jamを結成します。

    「2回目のツアーの時運転手がカー・ステレオの音楽を選べるように決めたんだけど、
    ジェフやストーンが運転するとボン・ジョビにホワイトスネイクがかかって、
    マークがハンドルを握ると、ビック・フブラッグやフレイミング・リップスが流れてくる。」
    アレックス・ヴィンセント談

    で、その頃マークが当時聞いていたバンドが
    このBig Black

    活動期間は1982年〜1987年まで
    後にプロデューサーとして
    Nirvanaの"In Utero"を手がけることになる
    Steve Albini が率いたバンドです。

    このいかれた冷徹無比のようなサウンドを鳴らしていたバンドのドラマーは
    なんとRollandのTR-606と言うドラムマシーン!

    また、エレクトリックなサウンドとロックを融合させた
    後にインダストリアルといわれる音楽の先駆者Ministry も
    1986年"Twitch"というアルバムでインダストリアル・ロックの金字塔を打ち立てました。

    彼らがいなければNIN INCH NAILSはいなかっただろうともいわれています。


    「世界はどんどん恐ろしくなってきている。
    まるでファシストがウッドストック20周年を記念してフェスティヴァルを開いているみたいだ…
    オゾン層の破壊だの世界が吹き飛ぶだのと周りが言っている所で、
    どうやってポップスを演奏するんだ?
    音楽は聴き手に往復ビンタを食らわすようなものでなければならない。」
    Ministry アル・ジュールゲンセン談


    つづく
    posted by: ゴルゴンゾーラ | アメリカロック史を追ってみた | 19:47 | comments(0) | trackbacks(0) |-
    グランジ・オルタナティブを追ってみたら・・・その3
    今回は1985年〜1988年にタイムスリップ!
    この頃といったらなんと言ってもLAメタル!

    と言うことで
    簡単なLAメタルの解説

    1980年代中期にLAを中心に活動していたバンドがやっていたヘヴィーメタルの一ジャンル。
    1983年にLAで行われたヴァンヘイレン・オジーオズボーン、
    デビュー間もないモトリークルーなどが出演した
    ロックフェスが何十万人もの観衆を集め注目をされることとなる。
    その後、Quiet RiotのCome On Feel The Noise が全米No.1ヒットとなりシーンは活性化。

    音楽性はキッスの流れを組むハードロックでメロディーはわかりやすくポップなものが多い
    歌詞の内容はパーティーと女の子とドラッグについてが主。

    ファッションは化粧をし髪を大きく膨らませ、ピタピタのレーザーパンツを履いている。

    ライブはとにかく派手で
    火薬や照明をもちいた華やかなステージでで宙をまったり
    ドラムセットが回転したりとエンターテイメント性が重視された。

    ちなみに
    LAメタルといわれているのは日本だけでアメリカではグラムメタルやヘアメタルなんて
    言われているそうです。

    さぁさぁ、能書きはこれくらいにして
    まずはこのバンド〜〜〜〜!

    RATT 1985年のヒット曲で「LAY IT DOWN 」

    1983年に結成された彼らは派手なファッションと化粧
    明るく開放的な音楽性はRATTN`ROLLと呼ばれモトリークルーと友に
    LAメタルブームを牽引する存在でした。

    作曲面で中心だったロビン・クロスビーはモトリークルーのニッキーシックスと
    ルームメイト同士で二人は極貧生活も共に力を合わせて生き延びただけでなく、
    ヘロインを含めたさまざまな日常生活を共にし相当な時間をセッションに費やし
    お互いを高めていったのです。
    ん〜〜〜まさにアメリカンドリーム!

    もう一丁LAメタル!



    でた〜〜〜BON JOVI!
    1987年ヒットのいわずと知れた名曲「Livin' On A Prayer」です。

    キャー!ジョン様〜〜〜、リッチー様〜〜〜!
    日本ではじめに火がついた
    この甘いマスクの中世のナイトが集まったのようなバンドは
    LAメタルでも珍しくドラックもスキャンダルもない優等生バンドでした。
    出身はカルフォルニアではなくニュージャージー州。

    それにしてもジョンのハイトーンはなんてパワフルでカッコイイんだ!


    次は1987年 全米NO1ソングからBangles「 Walk Like An Egyptian」!
    僕はもちろんボーカルの子が好みです。
    あのダンス流行ったのかなぁ〜〜?
    このバンドは世界で最も成功した女性バンドとも言われています。

    ラストもう一曲No1ソング 同じく1987年Starship「 Nothing's Gonna Stop Us Now」


    あれ?私服ジャン?と思ったそこのあなたっ!
    80年代のアーティストがみんなハデハデの衣装着てたわけじゃないのですよ!
    このStarship は85年、86年、87年とヒット曲を連発しています。

    しっかし、この曲のAメロなんか日本語の曲で似たようなのがあった気がするんだよなぁ〜〜?
    知ってる人いたら教えてください。

    他にもこの時代にはHuey Lewis & The News.
    ジョジョの奇妙な冒険でおなじみREO Speedwagon
    イギリスからの刺客、Tears For Fears
    アイルランドのU2などがヒットを飛ばしていました。

    「80年代なんてみんなクソだ〜〜」といっているオルタナ好きのみなさん!
    U2も活躍していたのですよ!ビデオ規制掛かっててのせらんなかったけどねん♪
    えっ!U2なんてクソだって!?
    バッ バカ〜〜〜〜〜!

    まぁ、80年代の音楽シーンがとてつもなく派手だったのは
    紛れもない事実ですけどね。

    posted by: ゴルゴンゾーラ | アメリカロック史を追ってみた | 21:20 | comments(0) | trackbacks(0) |-
    グランジ・オルタナティブロックを追ってみたら・・・その2
     つぎは1984年にタイムスリップです!

    この年のメインストリームの名盤といったらなんといっても
    ヴァンヘイレンの「1984」

    長髪を振り乱しセクシーな顔立ちでバクテンなど派手なパフォーマンスをしながら
    ステージではしゃぎまくるデイブリーロス。
    愛くるしい笑顔を振りまきながら
    当時、話題だったライトニング奏法などのテクニカルなギターで女性ファンだけでなく
    多くのギターキッズを魅了したエディーヴァンヘイレン。
    それまでの技巧派バンドとMTVが合わさった様なバンドです。
    演奏も非常にパワフルですね!

    また、彼らのライブはとてもエンターテイメント性にあふれたもので
    宙をまったりサーフボードに乗って空を飛んだり
    まさに、視覚でも楽しめるハードロックバンドでした。

    んでもってもう一丁!

    Duran Duran 「The Reflex」
    これはもうロックというより、アイドルですねw
    イギリスのバンドだし。

    しかし彼らはMTVの火付け役といわれている重要なバンドなので紹介します。
    アイドルっぽいといっても日本と違ってちゃんと自分らが結成したバンドなんですよ♪
    ステージから流れてくるアニメの洪水は当時では画期的な映像だったんでしょうね。

    さらにドスン!


    YES「Owner Of A Lonely Heart 」
    JournyやTOTOの流れの影響がまだあったのでしょうか?
    1968年結成の美しい曲をつくる実力派ベテランプログレッシィブバンドです。
    こういうバンドがチャートが1位を獲得したのはこれが最後ではないでしょうか?

    麻薬中毒の男を扱った
    映画のようなドラマチックでサイコなビデオですが
    ベテランバンドなのでルックスのせいでしょうか?
    本人達はほとんど出演していませんw。

    他に売れていた他のアーティストはというと
    Prince 、Paul McCartney & Michael Jackson 、Culture Club 、Cyndi Lauper
    など、ぞくぞくとMTVの時代らしい面々がずらっと並んでいます。
    また、この年はあのボンジョビのデビューした年でもありました。

    こうしてアメリカの音楽シーンは巨大エンターテイメントへと成長していったのです。


    さて、変わってアンダーグラウンドはというと


    まさにハードコア全盛期!
    BLACK FLAGの地元カリフォルニアではハードコアのフェスまで開催されていました。

    このbad brainsは黒人のハードコアバンドでレゲエなどブラックミュージックを
    積極的に取り入れ、のちのミクスチャーシーンに大きな影響を与えたバンドでもあります。
    ミクスチャーバンドの先駆者とも言われているレッドホットチリペッパーズがデビューしたのも
    この年でした。

    この西海岸のインディーズシーンを席巻した
    ハードコアムーブメントは85年頃から失速
    (79年頃から来ていたと言うから随分と長いムーブメントだったんですね)
    Black Flagも86年にヘンリーロリンズの「バンドは辞める」の電話とともに解散してしまいました。

    「86年に俺は決心した、バンドを止めるにはいい時期だ。Black Flagの周りには
    何の文化も残っていなかった。振り出しに戻ったのさ」
    グレッグ・ギン談

    またカリフォルニアから遠く離れた
    ジョージア州アセンズでは
    ハードコアとは間逆のフォーク・ロックを演奏する
    REMも台頭してきました。


    彼らはMTVとは対極の存在であるCMJカレッジチャートで人気をはくし
    83年に出したデビューアルバムではローリングストーン誌に絶賛され
    セカンドアルバムからはインディーズながら常にチャートの30位以内に
    入るという存在にまでなりました。
    (しかし、まぁやっとプロモがでてきたとはいえ
    メインストリームのバンド達とは偉い違いのビデオですわ)

    また、ミネソタで活躍していたガレージロックバンドthe replacementsも
    忘れてはならない存在です。


    つづく
    posted by: ゴルゴンゾーラ | アメリカロック史を追ってみた | 16:40 | comments(0) | trackbacks(0) |-